ばっちの脱線、脱線、また脱線

さすらいの永年寝太郎。あちこち脱線中です。

夜ふけの珈琲とカエルの思い出

6年前の今頃は、当時の勤め先で、二度目の休職を始めて、三か月ほど経った頃でした。
うつ病の診断書を出してもらってはいましたが、要するにもう仕事がしんどくなって、疲れ切って、行く気力を失ったという状態でした。
もう職場には戻りたくないけれど、まだ辞めるわけにもいかないし、職場復帰するにしても、その先どうやり過ごしていくのか、再び行ったり休んだりを繰り返すのか、そんな堂々巡りの日々でした。

当時も一人暮らしをしていて、実家の両親には仕事に行ってないことは言ってませんでした
その2年前に自分の離婚が成立して、しばらく避難するような形で両親と暮らしていたものの、元々折り合いの良くなかったところに離婚の気まずさも重なり、結局また家出するように一人暮らしを始めてから、一年も経っていない頃でした。
その後結局、勤めは辞めるのですが、当時はまだ職場に復帰するつもりでいたので、両親には黙っていようと決めていました

当時は月1回、離れて暮らす子供たちと面会できる機会がありました
朝、かつて自分も住んでいた家に迎えに行き、一緒に実家に行き、そこから出かけたりしつつ夜まで過ごし、やがてお迎えが来て帰っていくのを見送る、という流れでした

この日は一日、親にも子供たちにも、元気なふりをしなければなりませんでした
子供たちがいる間は、顔を見られる喜びもあって、自然と元気も出るのですが、問題はその後でした
子供たちを見送った後、両親との話もそこそこに、帰っていった子供たちと同じ方向に向かって、自分も暗い中バスに乗って帰ります
昼間の喜びの反動や、一日動いた疲れもあり、たいていはもうくたくたの状態でした

バスを終点で降り、電車に乗り換えるのですが、とてもそのまま一人の部屋に帰る気分ではありませんでした
さりとて、これは今では幸運だったと思えますが、当時心療内科系の薬をがっつり飲んでいたこともあって、飲みに行くような元気もありません

幸いなことに、乗り換え駅から少し歩いたところにカフェがあり、当時は日曜も22時まで開いていました
ご夫婦でされている、自家焙煎珈琲やパンケーキなど、どれも丁寧でおいしいお店です
20時頃に子供たちを見送ってから、ぼちぼちバスで移動して、あまり時間は残っていませんでしたが、そこに寄らない選択肢はありませんでした
ひとまず先のことなど一切忘れて、ガツンと苦い珈琲で、このやるせない気持ちをどうにか落ち着けたかったんだと思います

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今思えば、ラストオーダーの時間を過ぎてから、お代わりを頼んだことがあったかも知れません
僕がどこまで当時の自分の状況をお二人に話していたか覚えていませんが、いつもこんな時間になるのは子供たちに会った帰りで、ぐらいの話はしていたと思います。
そんな感じできっかり月1回、日曜の遅掛けにお店に立ち寄るという状況が一年以上続きました

ある夜、いつものように閉店間際に珈琲を頂いていると、マスターがそっと、カエルの置物を置いてくれました
そのカエルはマントを身につけ、スーパーマンのように、こちらを励ましてくれているようでした

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その日のことが強く印象に残っていたので、後日自分用にカエルの置き物を買いました
あの夜マスターが置いてくれたものとはコスチュームが違いますが、
これを見ると、当時のことを思い出します。

 

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