ばっちの脱線、脱線、また脱線

さすらいの永年寝太郎。あちこち脱線中です。

2022 京セラドーム最終戦観戦記

2年ぶりに観に行きました。
去年も行こうとは思ったのですが、コ〇ナによる席数減に加えて、よもやまさかの快進撃で、チケットが取れなかったという。神戸の日本シリーズ行きたかったんですが、
まあ、行ってたら凍死してたかも知れません。

 

↓2年前の観戦記はこちらを、、

batch-tsubuyaki.hateblo.jp

観戦に行くのは年に1回とか、一人で行くのはそんな程度ですが、
引退試合が何となく好きなので、ホーム最終戦を観ることが多く、
ある意味定点観測っぽい感じになるのかも知れませんが、
この2年でこんなに強いチームに変わるとは思いませんでした
この二十数年の停滞を遠目で眺めていた者としては、
この時期に消化試合をしていない、5割を超えている、
Aクラスにいる、これだけでも隔世の想いで、感慨深いです。
2年前に引退試合をされ、コーチになった山崎捕手も喜んでいらっしゃるでしょう。

 

ある意味棚ボタだった能見選手の加入は、オリックスの若い投手陣にとってプラス面しかなかったような気がします。
そんな感謝もあって、能見選手の引退試合は観ておきたいと思いました。
個人的には、今世での野球観戦は十分満喫した気がするので、
これで最後かも知れないという思いも密かにあって。

この日の時点では、リーグ優勝はかなり望み薄で、
この日も9回に同点に追いつかれた場面で、さあこれは一体どういう筋書きなんだろうと。
25年の停滞期を乗り切ったオリファンの魂は並ではありません 笑
このまま引き分けでも終戦、ホークス優勝という局面で、
オスナ投手から1点もぎ取ってのサヨナラ勝利。
よきシナリオでした。
最後の判定が微妙で、解説のない現地ではしばらく決着したのか判然とせず、
喜び爆発と行かなかったところが、またオリックスらしいところでした。

そのまま目の前の残りの試合に集中し切った結果、優勝まで転がり込んできましたので、
想念の力ってすごいなと思います。

 

そして恒例のささやかなお買い物。
はじめて主役のグッズを買ったかも知れません。
能見さん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
引き続きコーチとして、どうかよろしくおねがいします。
そして日本シリーズで、登板機会が巡るよう念じておきます。

 

 

#オリックス #祝リーグ連覇 #ありがとう能見投手

#そして中嶋監督 #帰ってきてくれて #感謝しかありません

なぜ給料があがらないか?

なぜ給料があがらないかだって?

 

そんなの働く気がないからに決まってるでしょ 笑
だって、
経済的に働く必要が、今突然なくなったとして、
それ以外の理由で今の仕事を続ける人が、果たしてどれぐらいいますか?
特にお勤めしている方では、ほとんど残らないんじゃないでしょうか。

 

何のかんの理由を付けたところで、基本的には
「生活のために」「仕方がないから」働いている、という人が大多数ではないでしょうか。

 

それは、ひとえに、
先に生きてきた人が、後から来る人のやる気をひたすら削いで、
出そうな杭を一生懸命叩き潰してきた結果だと思いますけどね。

 

 

いくつかの見せしめ的な事件を通して、
大なり小なり、革新的なことをやったら全力で潰されるんだと悟った結果、
国内で革新的な仕事をするような人はその後現れず、
さっさと国外に出てしまうか、さもなくば
不本意でも勤めているほうが無難だな、と考えるのは自然なことかなと。

 

みんな一人ひとりが無限の存在として、神として生まれてきたはずなのに、
その頭を押さえつけ、自己肯定感を破壊し、凡庸な庶民だと思いこませ、その枠に押し込めるのに、
本の学校教育と、部活動と、昭和平成の会社組織は最適でした 笑

 

長年の洗脳の結果、少しずつ沈んでいると分かっていてもその船に乗り、
少しずつ首が絞まると分かっていても、長いものに巻かれるようになる訳ですよ。

 

いつまでも増す苦したり、枠珍打ったりしてるのも同じ行動原理。

真面目なのではなくて、目立ちたくないから。

おかしいなと思っていても、周りと違う行動をとると目立つから。


僕もかつてはそうでした。

 

そして、イヤイヤやっている生産性の極めて低い仕事の結果として、
給料が上がらないのは当然のことだと思います。

 

それが今、自分がしている仕事に対する正当な報酬、正当な対価なんだと分かった時に、
それを誰かのせいにしないで、まして政治なんか当てにせずに、
さてまず自分がどうするのか、ですよね。

 

がむしゃらに働くとか、アルバイトを掛け持ちするとか、気合いで乗り切るとか、そんなのは無しです 笑
心身を破壊するだけです。
心身からのお知らせをいつまでも無視し続けていると、
果ては身体が酸化しまくって、癌になるのがオチです。
どうしてもそうしたいなら、それぞれの人生ですので仕方ないのですが。
でも、もうそんな時代じゃないです。

 

日々楽しく生きるために、わざわざ現代の地球に生まれ降りてきたはずです。

 

僕も絶賛模索中ですが。
同志求む!
何のや 笑

ウルトラの危機

、、、こりゃいかん。
地球の危機だ。
ウルトラマンを呼ぼう。
ウルトラマ~ン。

、、、来てくれたのはいいけど、
ずいぶん腰の曲がったウルトラマンだなあ。
それに、初めからカラータイマー鳴ってるじゃないか。
もしもし、ちょっと、大丈夫ですか、、、?

、、、いやあ、もう、見てのとおりで。
なんせ24時間、ワンオペで呼び出されますんでね。
ブラック労働どころの話じゃないんですよ。

私かれこれ40年近くウルトラマンやってるもんで、
もういい加減、若い人に交代したいんですが、
使命感だけでやってくれるような人は、今時見つかりませんのでね。
それどころか「やりがい搾取」なんて言われちゃうありさまで。

まあ私も、年金だけではやりくりが大変なんで、
次が見つかるまではと思って、こうして
老体にムチ打ってる状況なんです。
いや全くお恥ずかしい限りで、、、

で、危機というのはどれですかね。

、、、こりゃいかん。
地球よりウルトラマンが危機だった、、、

生命力

うちの神田ローズマリー(我が家の植物には噺家の屋号が付きます)ちゃんをなんの気無しに水挿しにしたら、しっかり根が伸びてきました。生命力にびっくり。
(後ろのカーテンの柄で見にくいですが)
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#ローズマリー
#水挿し


#整体士 #バツイチ #もと公務員 #うつサバイバー
#ピアノ練習中 #喫茶好き #合唱経験者 #ドラム経験者

どこへ向かっているのか

ホームページの作成スキルを身につけるために通い始めたパソコン教室、
当初の目的はとうに達成しているのですが、ついでに始めたエクセルの深掘りが楽しくて、
ホームページ作成はそっちのけで、とうとう資格を取ってしまいました(と言っても超カンタンなやつですが)。
とはいえ、完全に自分の意思で取った資格は、実は初めてかも知れません。
運転免許ですら、当時の職場で言われて仕方なく取ったので。

エクセルの操作自体は楽しいのですが、少し集中が切れると問題文が正しく読めなかったり、計算式を適切に立てられなかったり、国語・算数の理解のほうに問題があるようです 笑
そして、果たしてこの資格が生きる場面は来るのか、僕はどこへ向かおうとしているのか、相変わらず不明であります。。
まあでも、せっかくの学習成果を形に残せたので、ちょっと嬉しい。

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#エクセル深掘り中
#商工会議所パソコン教室


#整体士 #バツイチ #もと公務員 #うつサバイバー
#ピアノ練習中 #喫茶好き #合唱経験者 #ドラム経験者

自分の黒い過去について掘ってみた

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最近voicyで、澤円(さわまどか)さんという方の過去の放送を追いかけて聞いています。
お話を聴いていて、深く同意したり、勝手に親近感を抱く部分がたくさんあります。
自分と共通するキーワードもよく出てきます。
そしてこの回を聴いた時に、何かインスパイアされたのか、僕はあえてわざわざ 笑、幼少期の黒い部分を少し、掘り返してみようと思いました。

※以下に書いたものは超ネガティブな長文(しかも未完)ですが、
(澤さんのラジオがネガティブだ、という意味ではありません)
同じような体験をされた方がもしいらっしゃったら、何かしら感じ取ってもらえるかもという願いを込めて、全文貼り付けてみます。

#Voicy 
#澤円 
#深夜の福音ラジオ


<自分の過去との折り合いについて>

キーワード①「小・中学校時代は真っ黒け」

自分の小・中時代は基本消し去って生きています。当時の友達は一人もいません。
当時しかるべき検査を受ければ(たぶん今でも)、AD〇〇とか、発達〇〇なんかの診断が付いたんじゃないかなと思っています。
これ、定義が合ってるのかどうか知りませんが(調べる気もないので)、今でも整理整頓はできないし、作業を適当に切り上げることができず、やりだしたらいつまでもやってしまうし、何より当時はとにかく忘れ物が多かった。さんざん注意されても直せない。あまりに毎日何か忘れるので、母が怒り、家に入ってくるなと言われたこともありました。
今でも、使う可能性の高い低いにかかわらず、いったんカバンに入れたものはしばらく入れっぱなしなので基本カバンは重いですし、旅行ですか引っ越しですかというくらい、日常で荷物を持ち歩く人の気持ちはよくわかります。

当時学校に行かないという選択肢は自分の中になかったですが、今の状態でもし小学校に戻ったなら、3日どころか半日続かない自信があります。

まず、とにかく給食が嫌いでした。特に当時のあのパンは、自分にとって全く食べられたものではなかった。
毎回コッペパンが二つ、一つは残して持って帰ってよいが、一つは絶対に食べなければならないという、よくわからないルールでした。とにかく苦痛でした。
食べたくないものを無理に食べさせるって、ほかに選択肢を与えないって、虐待と違うんですか。
なんで家から持ってきたらあかんのですか。今どうなのかは知りませんが。
食べたくないけどとにかく無理して食べなければならない。
全然味の合わない他のおかずと同時に口に入れるなど、どうすればパンの味を消して飲み込むことができるか考えたり、もはや食事ではなかったです。
当然時間内に食べられないので、掃除の時間が始まって、机イスを教室の後ろに下げなければならない。僕は一緒に下がりながら、他の机に囲まれた状態で、食べ続けなければならない。
掃除が始まってホコリがもうもうと舞う中で。
これだってとらえようによっては虐待ですよね。

それでも、給食をテーマに書くよう言われた作文の出だしでまず
「給食はおいしい」と書いたことを覚えています。
僕はそんな、空気を読みに読んでしまい、
ただただ気が弱く、自分の意思を主張せずに、平気で自分の気持ちにうそをついて、安全を確保しようとする子どもでした。
周囲の大人も鵜呑みにして「なんだ、おいしいと思っていたのか」と安心してしまう。
そんなわけねえだろって 笑

キーワード②「教師の理不尽な暴力は犯罪である」
生徒間のいじめだって、校外で例えば通行人に同じことをすれば普通に犯罪案件ですよね。
なぜ校内や家庭内だと「いじめ」とか「しつけ」に変換されてしまうのか。
分かりやすい暴力だけではなく、自分の時代には、例えば教師の不作為によって困ったことがずいぶんあったように思います。
話がそれますが、最近は逆に、ことさらに教師を責め、貶め、追い詰める風潮があるように感じます。
それはある意味、学校や教師の過去の言動の蓄積が招いた結果かも知れません。
でもそれは矛先が変わっただけで、やっていることは自分が過去にされたことと同じですので、僕は賛同しません。


僕は小学校で、ある女子から結構ないじめ(身体的ではなく言葉によるもの)を受け続けましたし、
いじめを受けたことを理由(この部分の説明・言語化をする勇気はまだありません)に、中学生になってから、いじめる側に回ったこともあります。
不幸で無意味な負の連鎖、暗黒の連鎖でした。

いじめを受けたのは小学5年と、そのままクラスが持ち上がった6年の時でした。
当時担任だった女性は、見かねた同じクラスの男子が、こんなことが起きていると訴えてくれても、積極的に解決に動くということはありませんでした。
ここでもやっぱり自ら被害を訴え出るということをしていない、自分も自分なのかも知れませんが 笑、
表面上クラスはうまく回っている、その均衡を崩して、自分が例えば親に相談するとか、
もう学校に行かないとか、そういうことをした場合に、かえってめんどくさい展開になることを想像しました。つまり親を含めて、自分が周囲の大人を全く信用していませんでした。
相談することでいじめが解決するとか、丸く収まるとか、そういう展開になるとは全く思えませんでした。
そして、いじめていた子は立ち回るのが上手く、先生にも人気がありました。扱いやすい子だったんでしょう。
(今思えばその子も、内面に何か抱えていたのかも知れません。かばうつもりは全くありませんが。)
僕の方がややもすれば、学校や親からめんどくさい奴扱いをされて、居場所がますますなくなるんじゃないか、という恐れもあったと思います。
今なら、どうぞそういう扱いをしてください、で、もう学校には行きません宣言をして、即終了だと思いますが。
当時は、とにかく6年の3学期が終わり、卒業するまでやり過ごす、という選択をしました。
自分が動かなければ何も起こらない、何も変わらないという、とても分かりよいサンプルかなと思います。

その後、学校でのクラス同窓会のお知らせがあったとき、母親に行かないって言いづらかったので(言うと行かない理由を説明しなければならず、どうせわかってもらえないし、下手したら怒られる種が増えるだけなので、やっぱりめんどくさいと思ってしまった)、
とりあえず嫌々家を出て、少し遅れて校舎の前まで着いたものの、
楽しそうな笑い声が聞こえてくる教室にどうしても入る気がしなくて、
結局そこらをうろうろして時間をつぶして帰ったり、
遅れて小学生をしていた(当たり前ですが)弟の運動会を観に行った時に当時の担任に出くわして、
挨拶したくないので近寄らないようにしていたら、向こうから近寄ってきて、
あくまで主観ですが、「久しぶりに会っても、先生に挨拶もできない子」に対する大人の反応、
をされたように感じたり、ただただ不必要な被害者意識を育んだ小学校時代でした。

中学校でも、自分の前提は、学校生活に期待しない、大人を信用しない、ですので、
面白くなるはずはありません。自分で決めた前提どおりのつまらない3年間でした。
ただ目立たないように、余計な事をしないように。
前述した、いじめる側に回るというのはありましたが、それも周囲の顔色をうかがいながら、反応をみながら、
こわごわやっている感じでした。問題が大きくなりそうだなと思ったら、ぴたっと止めて静かにする。
自分の周囲の大人を真似していたともいえます。
おおむね、特筆すべきものは何もない、中学校生活でした。
勉強してましな高校に行けば、少しはましな高校生活が送れるのかな、程度の視野の狭い(当時は切実な願いでしたが)期待を抱いて、そのために勉強していたような気がします。


続きは、少し休憩してから書きます。
(過去との折り合いについて、まだ全く書けていないのです 笑)

 

#過去との折り合い
#掘ってみた

 

#整体士 #バツイチ #もと公務員 #うつサバイバー
#ピアノ練習中 #喫茶好き #合唱経験者 #ドラム経験者