ばっちの脱線、脱線、また脱線

さすらいの永年寝太郎。あちこち脱線中です。

バンド「ヒルエノルズ」の思い出

6月でドラムを始めて20年になります
と言っても1年以上、ドラムでは活動していないので、周年も何もないのですが。

とりあえずドラムセットを叩いてみたいと、思い立って教室を探し、習い始めたのが2001年初夏、うら若き?25歳の時でした
始めた時は人前で、ましてバンドで演奏することは全く考えていなかったです

当時の勤務先の同僚にその話をしたら、偶然彼がギターを弾けるということで、そこから色々と転がり出しました

色々なバンドで叩かせて頂きました。

ひとりでは到底できない、楽しい経験をたくさんさせてもらいました
たくさんの面白い出会いと、ほろ苦い別れがありました

そして去年の春先、最後にいたバンドを抜けた時に、自分は組織に所属したり、集団内での規律とか、空気を読むとか約束を守るとか、ほとほと向いていないんだなと感じました。
よほど出入り自由にさせてくれる前提でないともう無理だなと。

ドラムは3人の先生に習いました
こと楽器では、習った先生がみなすごい人ばかりだったのがささやかな自慢ですが
とりわけ印象深いのは最初に習ったW先生で
これほどの腕前の人がプロになれないのならきっと世の中の仕組みがおかしいのだろうと思うぐらいでした
やがて先生は突然上京してレッスンは強制終了となり、その後僕でも知っているような人のバックで叩いたりしておられましたが、ご自身がメジャーになるところまでは行かなかったみたいです
こんな感じで埋もれていった才能が星の数ほどあるのだろうなと。

すっかり前置きが長くなりました

ヒルエノルズ」は、僕が所属したバンドではなく、
僕が2人目のH先生に習っている時に応援していたバンドです
H先生のレッスンは生徒3人でのグループレッスンで、たまたま一緒にレッスンを受けた子が、ヒルエノルズのメンバーでした

自分の上達度合いはともかく、グループレッスンには楽しかった記憶しかありません
月に数回、仕事終わりに3人が集い、先生も交ざって、3台のドラムセットを交代で叩きました。音で会話して、音を交歓して、またそれぞれの場所に帰っていく、同志のような感覚でした。先生にもそんなふうに言われたことを覚えています。戦友のようでいいねえって。
終わってからよく飲みにも行きましたね

バンドの本気度を示す指標のひとつに「それで食べて行こうとしているかどうか」があると思います
ヒルエノルズは間違いなく本気で、道なき道を先に進もうとしているバンドでした
所詮は勤めの片手間でのバンド活動だった自分にとって、それは手の届かない、手を伸ばす勇気を持たない、憧れの領域でした
少しでもその輝きを、奮闘を、脳裏に刻んでおこうと思って、聴きに行っていたように思います

その後月日は流れ、僕がまずレッスンを抜け、以前のように会う事はなくなり、
ライブに足を運ぶこともやがて途切れました
ヒルエノルズもメンバーが替わって、そして抜けて、最後はギターヴォーカルとドラムの2人になって、
現在はギターヴォーカルのソロとなって、バンド名を残したまま活動しているようです

僕が勤めを辞めた翌年、2018年の春に、故郷に帰っていたドラムの子が来阪し、久しぶりに2人でライブをすると、連絡をくれました。
何年ぶりだったのかなあ。僕の方にも色々ありすぎて忘れました。
ヒルエノルズの2人も、僕も、お互いすっかり変わってしまったような、でも何も変わっていないような。
同窓会というほど親しい訳でも無かったけど、不思議な感覚で。

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その日は新作のレコ発を兼ねていましたね。
次に会うための口実に取っておこうと、その日は購入しませんでした。
そしてそれ以来会っていません。
まあ通販でも何でも、音源は買えるんですけどね。

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「何ですか今頃」なんて会話を、2人と直接交わせる日を、もう少し待って、
もうしばらく、買わないでおこうと思います。

 

ちなみに最後の写真が、現在の私的セットリストです。
いい曲だよなあ。
そして生のドラムセットで聴きたいなあ。

僕はやっぱりドラムセットが好きだったから、習いに行ったんだなあと。

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で、何でよそのバンドの話書いてんねん。俺。笑