ばっちの脱線、脱線、また脱線

さすらいの永年寝太郎。あちこち脱線中です。

まさかの珈琲卒業?の巻

僕が、珈琲豆に鮮度という概念があることを知ったのは2014年の初めのことでした
その時に、新鮮な煎り豆で淹れた珈琲のおいしさを知りました
その年だけで、それまでの人生で飲んだ量以上の珈琲を頂いたかも知れません
それ以降は、「ひとり喫茶部員」の名に懸けて?、年間百杯どころではない量を飲んできたと思います
特に半引きこもり状態だった約2年間は、ご飯と喫茶にしか出かけていなかった時期があるので、尋常じゃない杯数を飲んでいます
当時は自分の精神維持のために不可欠だと思っていました
その辺りの話は機会があればまた改めて。

最近、以前ほど珈琲に手が伸びなくなっているなと、うすうす感じてはいました
でも当の本人の自我としては、そんなはずはないだろうと。
少なくとも珈琲or紅茶の場面で、珈琲以外の選択肢はないわなと、つい昨日まで思ってました
昨日のお昼もそんな感じで、喫茶店での食事の後にセットのホット珈琲を飲んでいました。ところが、
あれ、一向に飲み進まない。。
ブラックで当たり前に飲めなくなっている。。
そしてお代わりするのは水ばかり。
よっぽど残そうかと思いながらも最後、すっかり冷めた珈琲に砂糖を足してようやく飲み終えている自分がいました
まるですっかり冷え切ってしまった男女の終わりのよう。。?

その時はっと自覚しました。
身体が受け付けなくなっている。。
これは事件です。
自分の中で、そんなことはありえないと思っていました

でも思い返してみると、きちんと記録を付けてはいませんが、少なくともこの一か月ほど、家で飲む量は確実に減っていました
毎日一杯はドリップバッグで淹れていたのが、全然減らなくなっていました
水出しコーヒーを作って冷蔵庫に置いていても、かつてのように毎日必ず飲んでいませんでした
でも当人には全く自覚がないので、いつも通りに色々買い足して、当然だぶついていました
くどいようですが、珈琲が余るなんて、そんなことはあるはずがないと思っていました

外でも、今までは普通におかわりしたり、二軒目に入ったお店でも当たり前のように珈琲を頼んでいたのが、
今思えば、そういえばちょっと飲むのがしんどいなと感じていたり、何か甘いものを欲していたり、飲むペース(酒呑みみたいな表現ですが)が明らかに落ちているなと感じていたことに気づきました

そして今、はたと自覚したときに、妙に納得している自分がいます
ひょっとしてこれは、一生分の予定杯数をクリアしてしまったのかも知れないなと。
そう宣告されても不思議でないくらい、ここ数年は飲んでいたので。

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まあ、わかりませんけどね。
しばらく経ったらまたすいすい飲んでいるかも知れませんけど。
いやでも、そんなことはなさそうな気がします
日々生まれ変わっているというのは、こういう事かもしれないと、
今は妙に納得しています。

果たして紅茶ならいけるのか、
それともカフェイン自体がダメになったのか、
それはこれから試してみないとわかりません。

で、昨日作ったばっかりの水出しをどうしようかなと。。